風の声を聴く

第11回

2022-10-09

 

『受刑者が絵本を読みあう更生プログラム』について

黒崎充勇 児童精神科医 広島県

 

9月のある日、私は里親さんのグループの研修会に出かける日の朝、NHKテレビで気になる番組を見た。ハートネットTV『塀の外のわが子を思って~絵本を読みあう女性受刑者~』である。みなさんの中にも目を留めた方がいると思う。窃盗や詐欺、覚醒剤所持で服役中の女性に対する更生プログラムとして、なんと絵本を読みあう!というのだ。はじめは何のことかと思いながら、ネクタイを締める手を止めて思わず見入った。

 

山口県の美祢刑務所で10年以上行われているこのような受刑者の更生・社会復帰プログラムは、全国的にも他に例がないらしい。この刑務所を出所した受刑者は再犯率が低いという。絵本が子どもの心を成長させ、母を癒やし、母子の愛着関係を育むことは以前から言われていることだし、実際納得できる話だと思ってはいた。だが私が驚いたのは、罪を犯し子どもを塀の外に残し服役している母親受刑者に対し、絵本読みが更生に導く力を持っているということである。その方法はこうである。6人の母親受刑者が集まり、たくさんの絵本の中からそれぞれが好きな絵本を選び、2ヶ月かけてインストラクターの指導を受けながらグループで読みきかせの練習をする。そしてそれを録音して家で待っている子どもに聴かせるというプログラムである。

 

グループの中には、幼少期に母を亡くし父が服役したため親戚に育てられた受刑者、子どものころから絵本を読んだことのないあるいは読んでもらったことのない受刑者もいる。2ヶ月の間に、同じ受刑者同士が支えあい励まし合いながら自分の読み方を見つけていくという体験を通して、次第に自分自身と深く向きあっていくという。それは物語を読むことで、音・情緒・言葉を通して、受刑者の五感、自分と相手の関係、そして気持ちのやりとりが生じ、受刑者の中に眠っていた乳幼児的な心が刺激され目覚めたのではないかと思う。そしてそれは家庭にいる現実のわが子に向かって届けたいという気持ち、わが子の反応に想像を膨らませながら、自身が長い間封印してきた幼児的自己に対し母親的自己が一生懸命読み聞かせることにつながる。つまり子どもに届けたい気持ちは、自分の中の子どもに届けたい気持ちと重なりあう。それはきっと受刑者の中にある満足と自己肯定感に満ちた幼児的自己の体験とその達成を喜ぶ有能感に満ちた母親的自己の体験の結びつきによって、現実の母子の間の塀の中と外を超えた結びつきが心の中で芽生えるからだろうと思う。

 

私の頭の中にD.スターンの自己感の話が浮かんだ。それは人が生まれてから死ぬまで心の中にずっと持ち続け発達していく自己感についての理論である。D.スターンは、人は生まれ落ちたときから、新生自己感(五感の世界:0ヶ月以降)、中核自己感(私とまわりのやりとりの世界:2~3ヶ月以降)、主観的自己感(私の気持ちとあなたの気持ちのやりとりの世界:7~9ヶ月以降)、言語自己感(言葉でやりとりする世界:15ヶ月以降)、そして物語自己感(自分の経験を物語に作り上げ、他人に伝えやりとりする世界:36ヶ月以降)を発達させ、一生それを抱え育んでいくという。絵本を人と読みあう行為、わが子に読み聞かせる行為は、このすべての自己感を刺激するものであろう。そして母と子どもとの間主観的やりとりを目指す絵本読みは、人とのやりとりを通して自分とのやりとり、自分の中の赤ちゃんとのやりとりにつながっていくのである。指導している村中李衣さんは、児童養護施設でもこの取り組みを行っているという。これはもしかしたら、虐待する母へのアプローチにも役立つのではなかろうか、と私は一人妄想した。

 

近年受刑者の処遇は、以前の懲罰から更生・社会復帰に重点を置かれるようになっている。受刑者の中には幼少期に虐待を受けて育った母親もいて、絵本の内容から幼少期を思い出し涙を流すこともある。このプロセスこそが再犯防止のための重要な要素になっている。私はネクタイを締め直し、今日の研修会では何かいいことが話せるかもれしれないと思い、家を出た。